2009年 05月 14日 ( 1 )

天皇陛下と龍雲閣

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月曜からアップしている静内ネタですが、
メインとも言えるのがこの場所、龍雲閣。

二十間道路の終わりに位置する、明治時代に建てられた貴賓舎。
今まで、歴代天皇を始めとした皇族や、様々な高位高官が訪れています。

右のトド松の木は1922年(大正11年)に当時皇太子であった
昭和天皇の「お手植えの松」

国宝級の展示物もありますが、国宝では無いので内部の撮影も可。

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桜まつり開催時に一般公開されていて、記帳をして中に。
強制ではないようですが、募金箱もあるので幾らか入れて中に進みます。

そもそも天皇が訪れるような貴賓舎が、どうしてこのような東京からすると
辺境とも言える地に存在するのか?静内一帯の歴史を簡単に振り返る必要があります。

明治5年、初代北海道開拓使長官・黒田清隆が大規模な牧場を区画した事に始まり
この地は宮内庁管轄の御料牧場として
宮内御料馬の生産や、軍馬の拠出をしていく事になります。

実用的な車や、ましてや戦車など存在しない当時としては
馬は車であり、戦車。

今風に言えばここは、国営の巨大自動車工場。
その重要拠点の視察に訪れる皇族や高位高官も多く、
そう言った皇族達の行啓道路として造成されたのが、有名な二十間道路であり、
貴賓舎である、この建物「龍雲閣」だったのでした。

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一階には当時の食器や家具などが展示されていますが、
その中でも興味深いのがこれ・・・

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伊藤博文作の七言絶句。
明治42年8月、韓国皇太子殿下の案内役として来場し、
その折座興として書いたものです。

加筆訂正の跡がある事から下書きである事が解ります。
その為一旦持ち帰り清書して送ると言う事になったのですが、
その帰路、動き出した馬車を牧場の者が追いかけて
「清書が来るまで、こちらで預かる」と言う事で、無理を言ってもらいうけたそうです。

その2ヶ月後、伊藤博文はハルビンで暗殺されてしまい、
当然清書が完成する事も無く、この書こそが、伊藤博文絶筆となったのでした。

その時、牧場関係者が無理を言ってまで、もらいうけたのはどうしてなのでしょう。
当時の不安な世相から不吉なものを感じたからなのか・・・
私個人の推測では、相手は多忙な人、このまま帰してしまっては忘れられて
清書など届かない可能性が高いと考えたからではないでしょうか。

一般人には有名な人が来たらサインをもらったり、写真に残しておきたいと言った、
ややミーハーな気分が、当時の人にもあったように思います。
真相は知る由もないですが。

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龍雲閣2階。
平成18年に訪れている天皇皇后両陛下。

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ガイドの方から聞いて、陛下が立っていた場所から写真を撮ってみました。
遠くの生馬神社。

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前述の昭和天皇お手植えの松も見えます。

きっと「あの松は父君のお手植えです」などと言った説明を聞きながら
ご覧になっていたのでしょう。


近日中に龍雲閣、その2も予定。





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by gajousan | 2009-05-14 09:10 | 静内 | Comments(4)