
昭和新山。

1943年の有珠山噴火で周辺の畑が盛り上がり、
2年余りで出来上がった話は有名です。
入山は禁止だったと思いますが、子供の頃中腹まで登った記憶がある。
当時と今は状況が異なるのかも?

この鳥フン?だらけの痛々しい人物。三松正夫氏。
地元の郵便局長で、昭和新山観測の話は
周辺の小学校では授業で習います。
太平洋戦争の最中と言う事で、カメラがあってもフィルムが手に入らないご時勢
確か、地面に垂直に張った複数の糸を元に、定点観測をすると言うローテクな方法ですが、
後にミマツダイヤグラムと呼ばれ、世界的にも評価の高い観察記録だそうです。
畑が山になってしまい、生活の糧を失った人々から三松正夫氏が、
私財を投げ打って土地を買い取ったため、この山の所有者は三松家。
国ではなく、個人の私有地にある山という事は知らない人も多い。
周辺住民の救済以外にも、やはりこの山には特別な思い入れがあったんでしょう。

今の所誰からも賛同を得られないですが、昭和新山と地獄谷
似ていると思いません?
実は先日、この辺にも行って来ました。詳細は後日。
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