
5月5日から「しずない桜まつり」が
開催されていると思うのですが、報道等で見かけない気がする。
(画像は直近のものではありません)
ちなみに開花状況は、すべてつぼみのようで
開花が始まるのは、まつりが終わる12日以降。
何ヶ月も前に決める予定の為、仕方の無い事ではありますが
なかなかうまくいかないものです。
現在開催されているのであれば
期間延長も十分にありえる状況です。

龍雲閣
二十間道路の終わりに位置する、明治時代に建てられた貴賓舎。
今まで、歴代天皇を始めとした皇族や、様々な高位高官が訪れています。
国宝級の展示物もあり。

二つの椅子と靴べらは
平成18年に御臨場された
現天皇・皇后両陛下がお使いになられたもの。
さらに進むと大正天皇がお使いになられたイスの展示もあり。
キャスターの付いた当時としては変わったイスだと言う。

そもそも天皇が訪れるような貴賓舎が、どうしてこのような東京からすると
辺境とも言える地に存在するのか?静内一帯の歴史を簡単に振り返る必要があります。
明治5年、初代北海道開拓使長官・黒田清隆が大規模な牧場を区画した事に始まり
この地は宮内庁管轄の御料牧場として
宮内御料馬の生産や、軍馬の拠出をしていく事になります。
実用的な車や、ましてや戦車など存在しない当時としては
馬は車であり、戦車。
今風に言えばここは、国営の巨大自動車工場。
その重要拠点の視察に訪れる皇族や高位高官も多く、
そう言った皇族達の行啓道路として造成されたのが、有名な二十間道路であり、
貴賓舎である、この建物「龍雲閣」だったのでした

右の額には龍雲閣の名付け親
伊藤博邦(伊藤博文の娘婿)の書。
それまでは凌雲閣と呼ばれていた。

一階には当時の食器や家具などが展示されています。
中心が伊藤博文作の七言絶句
明治42年8月、韓国皇太子殿下の案内役として来場し、
その折座興として書いたものです。
加筆訂正の跡がある事から下書きである事が解ります。
その為一旦持ち帰り清書して送ると言う事になったのですが、
その帰路、動き出した馬車を牧場の者が追いかけて
「清書が来るまで、こちらで預かる」と言う事で、無理を言ってもらいうけたそうです。
その2ヶ月後、伊藤博文はハルビンで暗殺されてしまい、
清書が完成する事も無く、下書きが伊藤博文絶筆となったのでした。

背の高いトド松の木は1922年(大正11年)に当時皇太子であった
昭和天皇の「お手植えの松」
龍雲閣は桜まつりの期間、公開されています。
歴史好きなら必見です。
人気ブログランキング ← ぽちっとお願い致します
にほんブログ村 北海道食べ歩き ← 応援頂ければ幸いです。