王子アカシア公園
1908年~1951年の間、王子製紙が千歳発電所建設の為、
苫小牧工場と支笏湖を走らせていた、王子製紙軽便鉄道
通称 「山線」
東京の紙の博物館に展示されていた山線が
苫小牧に帰還したのは1996年。
その翌年から山線や、当時の歴史を振り返ってもらおうと
毎年行われている 「山線まつり」
今年は10日~12日 12:00~16:00
(11日のみ9:00から)
通常は入れない、ゲート内や、
貴賓車の内部に入る事が出来ます。
貴賓車
大正11年、視察に訪れた当時皇太子だった昭和天皇の為に
客車を改造したもの。
全長7.11メートル
内部は仕切りで二部屋になっていて
入口周辺は一般車両と言う感です。
昭和天皇を始め、要人や富裕層の人が乗ったと言う貴賓車。
当時のままの為、相当な年代物。
床は模様付きの絨毯。
座席はビロードを敷いた豪華なものだった事が伺えます。
表で民報さんの記者の方が、
かつて山線に乗ったと言う年配の方を取材中。
この少し前、山線を訪れたと言う構図の親子の写真を撮っていて
邪魔になるだろうと思い、出ようとしたら
記者の方に 「居てください」 と言われ、その場に留まる。
ただ 「俺も写してくれ」 と言う顔をして見ているのもプレッシャーだろうと思い
ずっと後ろを向いていました。
4号機関車
明治41年(1908年)に千歳発電所を建設する際、機材や物資を運ぶため
苫小牧工場から支笏湖までを走りました。
支笏湖が景勝地として宣伝されるに伴い、便乗を願う遊覧者も増えたので
後に一般客の乗車も許可されました。
苫小牧から支笏湖畔まで、行きは1時間40分。
帰りは下り坂と言う事もあり、20分早い1時間20分。
坂を下る際はものすごいスピードが出たそうで、実際死亡事故も多発したそうですが、
「この車両は資材運搬を目的としている為、万が一の際は命の保証はしない」と言う様な内容が切符に明記されていたと言う話は有名です。
その後は道路など交通網の発達から輸送の手段がバスやトラックに
移って行った事もあり、昭和26年(1951年)惜しまれつつ廃線となりました。
現存するのは、アカシア公園内の4号機関車だけです。
平成19年(2007年)経済産業省の「近代化産業遺跡」として
この山線4号機も認定されました。
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